最高裁判所第一小法廷 昭和47年(オ)209号 判決 1973年4月12日
上告人
吉田サキ
右訴訟代理人
市井栄作
箕田正一
被上告人
吉田冨子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人箕田正一の上告理由および上告代理人市井栄作の上告理由について。
民法七九五条本文は、配偶者のある者は、その配偶者とともにするのでなければ、養子縁組をすることができない旨を規定しているが、本来養子縁組は個人間の法律行為であつて、右の規定に基づき夫婦が共同して縁組をする場合にも、夫婦各自について各々別個の縁組行為があり、各当事者ごとにそれぞれ相手方との間に親子関係が成立するものと解すべきである。しかるに、右の規定が夫婦共同の縁組を要求しているのは、縁組により他人との間に新たな身分関係を創設することは夫婦相互の利害に影響を及ぼすものであるから、縁組にあたり夫婦の意思の一致を要求することが相当であるばかりでなく、夫婦の共同生活ないし夫婦を含む家庭の平和を維持し、さらには、養子となるべき者の福祉をはかるためにも、夫婦の双方についてひとしく相手方との間に親子関係を成立させることが適当であるとの配慮に基づくものであると解される。したがつて、夫婦につき縁組の成立、効力は通常一体として定められるべきであり、夫婦が共同して縁組をするものとして届出がなされたにもかかわらず、その一方に縁組をする意思がなかつた場合には、夫婦共同の縁組を要求する右のような法の趣旨に反する事態を生ずるおそれがあるのであるから、このような縁組は、その夫婦が養親側である場合と養子側である場合とを問わず、原則として、縁組の意思のある他方の配偶者についても無効であるとしなければならない。しかしながら、夫婦共同縁組の趣旨が右のようなものであることに鑑みれば、夫婦の一方の意思に基づかない縁組の届出がなされた場合でも、その他方と相手方との間に単独でも親子関係を成立させる意思があり、かつ、そのような単独の親子関係を成立させることが、一方の配偶者の意思に反しその利益を害するものでなく、養親の家庭の平和を乱さず、養子の福祉をも害するおそれがないなど、前記規定の趣旨にもとるものでないと認められる特段の事情が存する場合には、夫婦の各縁組の効力を共通に定める必要性は失われるものというべきであつて、縁組の意思を欠く当事者の縁組のみを無効とし、縁組の意思を有する他方の配偶者と相手方との間の縁組は有効に成立したものと認めることを妨げないものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の認定するところによれば、昭和二六年九月一四日、上告人およびその夫吉田徳三郎と被上告人との養子縁組の届出が、上告人には全く無断でなされたこと、上告人は、徳三郎が荒木サツを妾として近所に住まわせるようになつたことが原因となつて、昭和一六年八月頃から、養子吉田良行(ただし、戸籍上は徳三郎のみの養子。)を連れて徳三郎と別居し、以後離婚届をするには至らなかつたものの、昭和三六年六月一四日に徳三郎が死亡するまで、ついに夫婦の共同生活を回復することなく、本件縁組届出の当時、徳三郎と上告人との婚姻共同生活の実体は少なくとも一〇年間は失われていて、事実上の離婚状態が形成されていたものであること、他方、徳三郎は、上告人が別居したのち間もなく、サツを自宅に住まわせて事実上の夫婦として同居生活をしていたところ、良行以外には子がなかつたため、老後のことを考え、サツの希望を容れて、近隣に住む石橋松太郎、同静野夫婦の代諾により、その二女の被上告人(昭和二〇年生)を養子とする本件縁組をしたものであり、その際、サツは被上告人を徳三郎と自分との養子としたものと考え、縁組を世話した者にも松太郎にも上告人との縁組という考えは毛頭なく、そのような趣旨で縁組の披露も行なわれたのであるが、徳三郎としては、事実上の妻サツとの家庭において被上告人を養子とするには、法律上ほかに方法がないため、上告人との共同縁組の形式をとつたものであること、被上告人は、上告人と生活をともにしたことはなく、縁組以後もつぱら徳三郎および事実上の養母のサツの二人に養育され、徳三郎が死亡するまで一〇年間親子として生活をともにしてきたこと、上告人は、昭和三一年頃、自己が戸籍上被上告人の養母となつていることを知り、徳三郎にその理由をただしたが、同人がいずれうまく始末するというので、それ以上敢えて追求しなかつたものであつて、上告人としては、被上告人が自己の養子とされることは承諾せずその是正を求めたものの、徳三郎の養子とされることは一貫して黙認していたこと、以上の事実が認められる。そして、右の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。)挙示の証拠関係に照らして、肯認することができる。
以上の事実関係のもとにおいては、被上告人の代諾権者である石橋松太郎、同静野においても、徳三郎においても、上告人との縁組の成否いかんにかかわらず、徳三郎と被上告人との間に縁組を成立させる意思を有し、現実にもその間に親子関係の実体が形成されたものであり、徳三郎と被上告人との間に単独に親子関係が成立することは、上告人の意思に反せず、徳三郎もしくは上告人の家庭の平和を乱しまたは被上告人の福祉に反するものでもなかつたと解されるのであつて、徳三郎についてのみ縁組を有効とすることを妨げない前示特段の事情が存在するものと認めるのが相当である。したがつて、本件養子縁組が徳三郎と被上告人との間においては有効であると認めた原審の判断は、正当として是認することができる。
論旨は、違憲をいう部分もあるが、実質は、原審の右事実認定および縁組の効果に関する法律解釈を非難するに帰するものであるところ、原審の認定判断に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)
上告代理人箕田正一の上告理由
昭和二六年九月一四日被上告人が訴外吉田徳三郎及びその妻たる上告人と、養子縁組をなすにつき、上告人は全く関知せず、右徳三郎が上告人の氏名を無断冒用して、総て独断専行したることは、原審の認定したるところである。この事実関係に基づき、原審は、徳三郎と被上告人との間の養子縁組を有効なりと認定したるものであるが、右養子縁組当時徳三郎には配偶者たる上告人が存在したのであるから、夫婦の一方が、他の一方の子を養子とする場合を除き、配偶者のある者は、その配偶者と共にしなければ縁組をすることができないこと、所謂必要的共同縁組の定は、我民法第七九五条の明定するところであつて、親族法規は強行規定であるから、解釈論、立法論によつて、その適用を歪曲することはできず、配偶者たる上告人の子にあらざる被上告人と養子縁組をするにつき、配偶者たる上告人としなかつた徳三郎の右養子縁組は、無効であると云わなければならない。民法第七九五条の唯一の例外である民法第七九六条の規定に於て、夫婦の一方がその意思を表示することができないときに、他の一方が双方の名義で縁組をする場合に於ても、「意思を表示することができないとき」とは一時的な不在や、疾病は該当しないとし、極めて厳格に解釈され、完全なる意思表示能力ある他の、配偶者に黙秘して、その名義を使用することは、法の認めないところである。諸外国には、夫婦一方のみの縁組を認め、他方の同意があれば、これを有効とする立法例もあるが、我国はフランス、デンマーク、北米合衆国ミシガン州及びニューヨーク州と同じく、配偶者あるものは共同でなければ、法規上縁組はできないとしている。旧民法養子規定の起草者穏積陳重氏は「我国従来の慣習として、夫婦は必ず一致して養子を為すものであるのが、養子制度の本旨であるとされ、旧民法第八四一条はこの趣旨の下に制定されたものである。現行民法が、戦後家の制度を廃止し、個人主義的色彩を多分に取入れたとは云え、事縁組に関しては、我国の夫婦制度、親子制度の実情に鑑み、配偶者ある者が養子を迎えようとするには、必らず共同であるべきことを要す」とし、民法第七九五条の規定を定めたのである。
曾て大審院は夫婦養子につき「民法第八四一条に、配偶者ある者は、其の配偶者と共にするに非ざれば、縁組を為すことを得ずと規定したる所以のものは、他なし、養親と養子との間に、養親子関係を生ずるは、一に養子縁組に因るものなるを以て、若し配偶者ある者、其の配偶者と共にせずして、養子縁組を為すときは、養親子関係は、唯縁組当事者の間にのみ生じ、其の配偶者と縁組の相手方との間には生ずること能はず、此の如きは、一家の秩序を紊り、配偶者間の平和を害するの虞あるを以て、配偶者ある者が、縁組を為さんとするには、必や、其の配偶者と共にすることを要するものと為したるたり。明治三五年(オ)第四四五号、同年一二月二〇日第一民事部判決、明治三五年(オ)第六三七号同三六年一月二〇日第一民事部判決参照(大正一五年(オ)第四四六号同年一〇月五日第二民事部判決、大審院民事判例集五巻七一五頁)」と判示され、又「案ずるに、民法第八四一条第一項に依れば、夫婦は共にするに非ざれば、養子縁組を為すことを得ざるを原則とし、(中略)従て同条第一項の場合には、夫婦共に縁組の当事者にして、従て各縁組の意思表示を為すことを必要とす(中略)而して民法第八五一条第一号には、縁組は其の当事者に縁組を為す意思なきときは、無効なる旨を規定するを以て、民法第八四一条第一項に依り夫婦が共に当事者として、縁組の意思表示を為すことを要する縁組に於て、其の一方に、縁組を為す意思なき場合には、仮令、他の一方が縁組の意思表示を為すも、其の縁組は無効なりと云はざるべからず(昭和四年(オ)第一八二号養子縁組無効請求事件同年五月一八日第四民事部破毀差戻判決大審院民事判例集第八巻四九四頁)」と判示されている。其の他にも「配偶者のある者がその配偶者とともにしないで、単独にその配偶者の子でない者とした縁組は、当事者間に縁組する意思がないものとして、無効である(昭和一三年三月三〇日大審院判例)」「他方配偶者の意思を無視して、一方のみとの養親子関係の成立を認めるのは不当である(昭和一四年八月一〇日大審院判例)等多数の判例が存し」共同縁組の趣旨を明らかにせられている、この趣旨は現行民法下に於ても、当然肯定されなければならないところである。
夫婦共同縁組は一箇の縁組行為か、又は各当事者それぞれについて別個の二つの縁組行為が存するかは、議論の余地があり、一箇の縁組行為と解するのを正当と考えるが、二つの縁組行為であるとする説を採る学者も、養親側が夫婦である場合には、我国の国民意識上、養親の何れか一方に縁組の意思がなければ、縁組の意思が存在した他方の養親の縁組も無効となると解している。(我妻栄氏親族法二六八頁)
近代の養子法は、子の保護を主眼とするに至つたとは言え、夫婦間に相異つた養親子関係の成立を肯定し(一旦親子関係が発生した後に、再婚等により後に新たな夫婦関係が成立したような場合は格別)道徳の根原たる夫婦間の平和秩序までも犠牲にして、養子を保護しようとするものではない。
要するに原審は強行規定の民法第七九五条の解釈に当り近時学界に於て論議される立法論に影響され、いささか勇み足に出でた観あるもので破毀を免れないものと信ずる。 <以下略>